真っ暗な世界から光あるところへ導いてくれたのは、あの人。
 新しい世界であたたかさをくれたのは、あの人。
 あの人は眩しいけど、どうして?
 どうしてあの人はあったかいんだろう?

 道を歩いていたクロームは、何かが頭の上を通り過ぎていく気配に顔を上げた。

「あ」

 大きな瞳を、パチリと瞠る。青空を虹色に切り取って、大小さまざまなシャボン玉がふわふわと飛んでいた。
 同じ空を、びゅう、と、木枯らしがガラスのナイフを振りかざして駆け抜けた。クロームは息を詰めて目を瞑り、紙袋を抱え込みながら体を小さくした。髪が耳許で悲鳴を上げる。ダッフルコートのフードとマフラーがはためいた。足元を何枚もの枯れ葉が、抜きつ抜かれつ、所によっては団子状態になりながら通り過ぎていった。
 風がやみ、クロームが目を開けた時、シャボン玉はどこにも見えなかった。

「……………こらー、ランボ!……………」

 木枯らしに乗って聞こえた声に、クロームは驚いて辺りを見回した。聞き覚えのある声だったからだ。確かに、ここはあの人の地元で、偶然出会う可能性もない訳ではなかったが……。
 クロームは声がした方へ歩き出そうとした。が、抱えた紙袋の事を思い出して、踏み出そうとした足が止まる。

(……確認するだけだから)

 クロームは心の中で断りを入れ、今度こそ走り出した。

 

 行く手に現れたのは、周囲をフェンスで囲まれた公園だった。ボール遊びをするにはやや狭く、ペンキを塗り替えて古さをごまかした滑り台とブランコと鉄棒、小さな砂場があるだけだった。一車線の道路を背にする形でベンチがあり、その周囲をシャボン玉がふわりふわりと飛んでいた。
 公園には幼児が二人と小学生ほどの子供が一人、中学生ほどの少年が一人、合わせて四人いる。兄弟にしてはさほど似ておらず、近所の子供の面倒をまとめて見ているお兄さん、と言った方が正しそうだ。

「こら、また! シャボン玉を食べるなって言ってるだろ!?」
「是!」
「うえ〜〜〜〜、まずい〜〜〜〜、でも、ツナにはあげないもんね!」
「いらないよ! まずいなら食べるなよ!」
「ツナ兄、見て見て! ほら、一番でっかいのが……ああ、消えちゃった……」

 お兄さんは子供達に慕われているらしいが、同時に随分と手を焼いているようだ。
 クロームは口許を白く霞ませながら立ち止まり、子供達の中心にいる人を、大きな瞳全体に映した。
 予想、いや、期待、いや、願い通り、あの人がいた。確認もした。なら、もう帰らなければならない。だけど。

(挨拶……しないと)

 あの人はボスなのだから、挨拶しないといけない。でも、あの人はとても大変そうだ。自分が声をかけたら、鬱陶しがられるかもしれない。邪魔だと思われたくない。嫌われたくない。いらないものになりたくない。
 後ろ向きな気持ちが鎌首をもたげ、影を恐れる気持ちがクロームの足を後ろへ引っ張った。
 気づかなかったふりをして、帰ろう。

「クローム?」

 唐突に声をかけられ、クロームは人間と目が合った野良猫のように体を竦ませた。
 綱吉は一旦ランボ達の事をフゥ太に預け、道路に佇んでいるクロームに近寄った。クロームはさり気なく髪やマフラーの乱れを直し、コートの埃を払った。

「どうしたの?」
「声が……聞こえたから」
 挨拶しようと思って。

 クロームはおずおずと用向きを伝えた。

「あ、ありがとう」

 綱吉はへらりと笑った。リボーンが来るまでクラス中から疎外され、友達のいなかった綱吉には、そんなちょっとした気遣いが嬉しい。が、ボスと守護者という関係以外、ほとんど接点がないので、どうしても会話が続かない。綱吉は気まずさを取り繕うように、照れ笑いともごまかし笑いともつかない笑顔を浮かべるしかなかった。
 迷惑がられるかと思っていたのに礼を言われ、クロームは逆に自分が困ったようにもじもじした。がさ、と紙袋が音を立てた。

「あ、買い物帰り?」
「うん、あの…」
「ツナー!」

 何とか始まった会話だが、無遠慮な子供の声に妨害された。ランボのタックルを足に受けた綱吉はフェンスに激突し、クロームは小さな悲鳴をあげた。
 綱吉は騒ぐ幼児を慣れた手つきであやしている。表情や口調には呆れた色がありありと出ているが、怒る事も放り出す事もせずに、気が済むまでずっと側にいる。どんなに地団駄踏んで、駄々をこねても。
 クロームは綱吉を見ていると、何故だか急に泣きたくなった。

「クローム!」

 今度こそこの場を立ち去ろうとしたクロームだったが、またも綱吉が引き留めた。大きな瞳いっぱいに、自分を映し出して。

 

 こないだイーピンの誕生日でさ。
 クロームは綱吉の隣に腰掛けながら、綱吉の話を聞いていた。

「プレゼントしようと思って、子供だから、シャボン玉買ってあげたんだ。ほら、あれ。面白いよね、クマの形しててさ、帽子がフタになってるんだ。お腹を押したら、こう、シャボン玉作る輪っかが出てくるんだよ。で、シャボン玉したいって言うからさ、母さんが他の皆の分も買ってあげて。今日やっと晴れたから、ここへ来て遊んでたんだ。……イーピン! ちょっと見せてやって!」

 異性と二人きりという状況に、綱吉はいつもより饒舌になっていた。袖口にムートンをあしらったチャイナ風コートを着た女の子が、呼ばれて駆け寄ってくる。向こうではフゥ太とランボが、どちらが大きいシャボン玉を作れるか競い合っていた。
 クロームは差し出されたクマを、礼を言って受け取った。黄色いクマはなかなか頭身が高く、子供の手には少し大きいようなサイズだ。頭には帽子の赤い鍔だけが残っている。

「ちょっと貸して。…ほら、こうやって」

 綱吉はイーピンとクロームに断り、クマの腹を軽く押した。にゅっと赤い、一円玉を一回り小さくしたほどの輪が出てくる。輪の内側は虹色に揺らいでいた。
 綱吉はその輪をふっと吹いた。が、何も起こらなかった。けらけらとイーピンが笑う。

「笑うなって! …どうしてもできないんだよね、俺」
 ダメだよねえ。

 綱吉は情けなさそうに苦く笑い、やってみる? とクロームに渡した。クロームは頷いて受け取り、輪を出してふうっと吹いた。
 イーピンが歓声を上げて駆け出した。弁髪頭の上を、ふわふわと虹色の玉がいくつも舞い飛ぶ。

「はあ、上手だねえ。…イーピン、気をつけろよ!」
「…ボスにも、できるから」
「ええ? いや、無理だって」
「優しく吹いてあげるの」

 クロームは黄色いクマを差し出した。綱吉は無理だと言って受け取らない。が、クロームは引かなかった。
 大丈夫。ボスは、優しいもの。

 綱吉はクロームに向けていた手の平を返し、そっと黄色いクマを受け取った。腹を押して出てきた輪を睨む。綱吉は真剣そのものの顔で、すうっと息を吸い込んだ。
 クロームに言われた事を反芻しながら、息を吹きかける。

「うわぁ……!」

 とびきり大きなシャボン玉に、綱吉は大きく笑った。

「ね」
「うん。ありがとう!」

 ……今また、あの暗い世界に行ったとしても。
 もう、大丈夫。クロームは、そう思った。

 胸が、心が、あったかい。

 

 

前から一度は書きたかったクローム×ツナです。
1日遅れになりましたがお誕生日おめでとう!