Stay with me...Smile with you!

 

 彼の名前は皆知っている。
 平凡で、少々小柄で……目立たないと言ったら確かにそうだ。でも、それは見た目だけの話。
 勉強でもスポーツでも、何をやらせても平均以下、有り体に言えばどん底。行動力もなければ発言力もない。集団に埋もれて隠れてしまいそうな外見に反して、誰でも名前を知っているのはその為だった。皆、彼が何かやる度に笑っていた。自分も一緒に笑っていた。他人の失敗は可笑しいから。
 誰でも取り柄の1つくらいはあるそうだが、その取り柄が見当たらない。強いて言うなら、あのダメ具合か。
 誰もがそう言っていた。それは違う、と気づいたのは、きっと自分一人だけだ。
 あいつは何も出来ない事を言い訳に、何もしようとしないだけだ。「無理」と決めつけ、端から諦めて動かないだけ。どうして「ダメで元々」と動いてみないのか、考えるより先に体が動く自分には分からない。
 頑張ればきっとどうにかなるのに、どうして「ダメ」なんて言われっぱなしなんだ。
 そう言いたいと思っても、「ダメツナ」なる渾名が定着している綱吉と、1年で野球部レギュラー、おまけに4番、しかも生来の人当たりの良さから、クラスの中心に祭り上げられてしまった自分との間には、埋めがたく、また越えがたい溝が幾重にも出来ていた。
 片やヒーロー、片や劣等生の典型。自分が近づこうとしても、周囲が無意識的に邪魔をした。周りが勝手に作り上げてくれたイメージに、綱吉自身も教室の隅に甘んじていた。あまつさえそこから、皆と同じように憧憬の視線を投げかけてきた。
 歯痒くて仕方なかった。
 何で頑張ろうとしないんだ。何でこっちに来ようとしないんだ……。

 

 内心でどう思っていても、結局、見上げられるというのは気持ち良かった。いつしか綱吉の不甲斐なさも周囲の面倒な視線も、“日常”としてデフォルトされ、自分もすっかり馴染んでしまった。そんな時だった。
 綱吉はまさしく、豹変した。教室の隅で嘲笑を集めるだけだった彼が、賛辞を受けるようになった。不思議なのは、それが長続きしなくて、ほとんどの時間はいつもの「ダメツナ」なのだが。あれはキレたとでも言うのか、文字通り変身したようだった。
 それでも、一度与えられた評価は覆らなかったが、自分だけが、してやったりと言う気持ちでいた。
 やればできるじゃないか。俺の思ってた通り。
 だから彼に声をかけた。ちょうど自分も壁にぶち当たっていたところだったから、何かアドバイスが得られるんじゃないかと思って。
 綱吉は“憧れのヒーロー”とやらから相談を持ちかけられて、パッと見ただけで分かるほど浮かれていた。今、俺はお前を見上げてるって、分かってる? 見上げられるって、頼りにされるって、どんなに気持ちが良くて面倒な事か、こいつにも分かるだろうか。

「努力………しかないんじゃないかな、やっぱり………」

 得られたのは、そんな陳腐な一言だけだったけど。
 失望はしなかった。努力しかないって分かり切ってた事だから。頑張ればどうにかなるなんて、今更教えられなくても経験で知っていた。この自堕落を地で行っていたような綱吉も、その事に気づいたと思って、奇妙に嬉しかった。
 近づいてきてるんだと、知れただけでも良かった。
 ほら、もっとこっちに来い。
 俺はここにいるからさ。

 

「よー、ツナ!」
「お早う、山本」

 前をぽてぽて歩く、小さな背に駆け足で追いつき、挨拶代わりに軽く叩く。いつもの朝の挨拶に、綱吉は春風のように笑い返した。
 他愛もない話をしながら、学校までの道のりを一緒に歩く。話題は昨夜のTV番組、今日の授業、宿題の出来、補習に対する愚痴、家で起こったささやかな事件……特に珍しいトピックもなく、二人だけに共通する話題もない。
 今までに綱吉以外とも、何百何千何万回と繰り返してきた話題。なのにとても新鮮で、交わす言の葉の一片だって忘れたくないと思うのは……分かってる。
 山本は終わりかけの八重桜から、その上の空へ視線を移した。薄雲がかかっているが、日射しは地面にまでしっかりと届いている。
 今よりもうちょっとだけ空が近くて、地面とはもう少しだけ離れたところ。空の中でも地面の上でもないところだった。
 そこでやっと気づいたのだ。来ないなら自分が行けばいいと。動こうともしない、不甲斐ないのは自分も同じだと。努力しかないのは分かってた癖に、自分はそれを怠って、全て綱吉に任せきりにしていたのだ。自分は一体何の権利があって、自分の意思を押しつけていたのだろう。
 体の横で揺れる手が、ふと何かに触れた。自分の、潰れた肉刺が幾重にも重なって角質化した手とは違う、柔らかくてすべすべした、触り心地の良い何か。
 綱吉の手と自分の手が、何の拍子にか重なっていた。

「あっ……ご、ゴメン」
「……や、悪り」

 残念なような照れ臭いような、複雑な気持ちで、山本はぱっと手を放した。思わず、歩みさえ止めてしまう。
 綱吉も同時に、彼の優しさそのもののような手を引っ込めた。静電気に打たれた時のように、その手を押さえる。
 気まずい沈黙が流れる。不慮の事故とも言えない接触だったが、和やかな空気を壊すには充分だった。さっきまで普通に話していたのに、今は何故か顔を向けられないほど恥ずかしい。山本は内心、何でこんな時に獄寺がいないんだ、と普段フォローしてばかりの相手に八つ当たりした。
 自分の頬が熱くて、綱吉の耳が赤いのは、朝から長袖なんて着たくないほど暑いから?
 山本は沈黙に堪えかねて、無理矢理口を開いた。声が震えないよう祈りながら。

「あのさーツナ、今日、部活終わったら……どっか、寄らね?」
「! うん! 行こう!」

 綱吉が顔を上げ、笑う。赤らんだ頬で眩しい位に、ほんの少し照れ臭そうに。
 山本もよく似た笑顔を返した。それはクラスのヒーローには相応しくないほど緩んだ顔だろう。しかし、山本は雨上がりの朝のように爽快な気分だった。
 二人は放課後どこに行くか話し合いながら、また歩き出した。
 若葉風が二人の背を押した。

(……本当は、行き先なんてどうでも良いんだけど)

 内心で二人とも同じ事を思っている事は、この場にいない、黒衣の赤ん坊だけが知っている。

 

 傲慢な自分は地面に叩きつけてきた。
 ずっと一緒にいよう。ずっと一緒に笑っていよう。
 これからの自分は、すべて君のために。 

 

 

山ツナ難しかった……。
山本お誕生日おめでとう!


photo by Coco