スクアーロは雑踏と人いきれに、空を仰いで溜息をついた。少しでもいい空気を吸いたかったのだが、いくら彼が長身でも、その程度では無理な話だった。
慣れない下駄を履いた足が痛い。鼻緒ずれの肉刺が潰れたかもしれない。懐に絆創膏を忍ばせてはいるが、この流れから出るのは一苦労だ。そう言えば綱吉の足は大丈夫だろうか。
「綱よ………」
し、が言えなかった。何故なら目的の人物の姿が、消えていたからである。
(ま、またかぁ…………!)
スクアーロはその場にしゃがみ込みたくなった。会場に着いてから、一体何度目だ?
どうにか気を取り直し、先に見える休憩所まで歩いて、携帯電話を取り出した。
置いて行ったか、置いて行かれたか。日頃の行動パターンから考えて、後者はまずあり得ない。しかし、綱吉は時に意外な行動力を発揮する。祭りでテンションの高い今なら、とっくに花火大会の会場に行ってしまったかもしれない。
迷子と間違われて保護されているならいいが、タチの悪いのに捕まっていては大変だ。
呼び出し音だけを聞かせる電話を、スクアーロは舌打ちと共に切った。宛もないまま、とりあえず来た方向へ爪先を向ける。そこで携帯電話がけたたましく着信を告げた。サブディスプレイに、「綱吉」と表示されている。
「綱吉! どこだぁ!?」
『スク!!』
幼い頃の、自分のあだ名。自分が小学校に上がった時にやめさせたが、綱吉は今でも、都合のいい時には使ってくる。例えば、今日の祭りに誘う時。
だが今の声音は、明らかに切羽詰まっている。耳を澄ませば、走っているらしい下駄の音も聞こえる。どう考えても、尋常ではない。
『スク、スク! 今どこにいるんだよっ!』
「落ち着け、そこを動くなぁ! 俺が行くから居場所を教えろ!」
『神社の参道だよ! 早く早く…!』
「分かった、待ってろよぉ!」
場所を聞いたと同時に、スクアーロは踵を返していた。人混みをかき分け、押し退けられた女子の悲鳴も、肩がぶつかった男の罵声も、全て後方へ千切って、最大速で走る。血相変えて走るスクアーロと目が合ってしまった子連れの男性が、子供を抱き寄せて道を空けた。
状況は分からない。が、喧嘩で負ける気はしない。ばれたら進路に響くとか、部長を務める剣道部はどうなるとか、そんな事は思い浮かばなかった。
(綱吉に手ぇ出してみろぉ……。生まれてきた事を後悔させてやるぜぇ!)
「もー、遅いよ、スクアーロー」
綱吉は綿飴を頬張りつつ、団扇で蚊を追い払いながら文句を言った。足元をよくよく見ると、他にも何か食べた痕跡が複数あった。
スクアーロは倒れそうになった。というか倒れたかった。同じ位殴りたかった。綱吉ではなくて、綿飴片手に唇をとがらせ、座り込んで上目で睨んでくる、このお騒がせ男を可愛いと思ってしまった自分を。渾身の力で。
「でも間に合って良かった。ここが穴場だって知られ始めたみたいでさ、いいとこ取られちゃうかもって心配だったんだ」
「……………………あ゛ー、そうかぁ」
「大丈夫? これ飲む?」
綱吉は烏龍茶の缶をスクアーロに差し出した。一緒に未開封のタコ焼きのパックもすすめる。怒る気力も失せたスクアーロは、黙って受け取った。力なく綱吉の隣に座り込む。
珍しく疲れ切っている様子の弟分に、綱吉は小首を傾げた。
「やっぱりインターハイの疲れが取れてない?」
「……100メートル走っただけでバテるお前と一緒にするなぁ」
「ひどっ! 確かにスクアーロよりヤワだけどさあ、俺が年だって言いたい?」
「電話が来た時、年甲斐もなく迷子になったのかと思ったぜぇ」
「ああ……神様、スクはどうしてこんなに可愛くない子になっちゃったんでしょう?」
「お前は顔からしてガキのままじゃねぇかぁ! あと、賽銭入れてから聞けぇ!」
スクアーロが怒鳴った時、ホイッスルに似た音が空気を裂いた。振り向いた視線の先で、ぱんっと光の花が咲く。光に照らされ、二人の浴衣姿が闇に浮かんだ。
子供の頃から、毎年こうして夏祭りに繰り出した。母親に浴衣を着付けてもらって、三人で。スクアーロが中学に上がると二人で行くようになって、今まで続いている。もっとも、その頃から弟分は勉強や部活で忙しくなって、いい顔をされないようになった。それが寂しくて、つまらなくて、生意気にも思えて、駄々をこねるように連れ出すのだ。
スクアーロの言った通りだ。自分はいつまでも、子供のまんまだ。
ぽん、ぽんと、暗闇に炎の花が鮮烈に咲き誇り、消えてゆく。夏に咲く花は、どうして、儚く消えるものが多いのだろう。
綱吉はそっと手を伸ばし、スクアーロの頭を撫でた。
「スクアーロさ、大きくなったよね」
「……いきなり何だぁ?」
突然の接触に、スクアーロは目を白黒させた。ここは夏祭りの神社の境内、しかも人気がないという絶好のシチュエーション。手の一つ位握らなくてはと思うのだが、拒否されたらと思うと、怖くて全く動けなかった。気持ち悪いとか言われたら、立ち直れない。
だから綱吉から触れてきたのは、正直、ちょっと嬉しい…が、情けなかった。これでは、綱吉の事をガキだなんて言えない。
「うん。もう来年からは一緒に見られないと思うと、ね」
花火の音が大きく、腹に響くものになった。大輪の花がいくつも夜空に咲き、名残惜しげにキラキラ輝いて散った。
「……花火なんざ、どこででも見れるだろぉ」
「そうだけど……」
ゆるりとスクアーロの手が上がった。頭に触れる手をそっと包み込んで、外させた。
女のように細くはない。だが、自分のそれより小さかった。
花火の音がうるさい。でも、これでいい。同じ気持ちになるまで待てるから。
スクアーロは綱吉の手を握るそれに、力を込めた。
自分の手を掴んでいるスクアーロの手に、不意に力が込められた。
スクアーロの顔が、一瞬だけの光に照らされて、闇に浮かぶ。目眩く色彩の変化のせいだろうか。見慣れたはずの弟分の顔が、すごく悲しそうに、なのに優しそうに見えた。
赤、青、緑、金銀、色とりどりの光の中、スクアーロの口が何か、言葉を綴った。
何、何て言ったの。分からない。
花火がうるさい。終わるならさっさと終われよ。全然聞こえないよ!
綱吉は答えを見つけようと、スクアーロの顔を見つめた。自分より上にある瞳との合わせ鏡の迷宮に、迷い込む。
世界が急速に遠ざかる中にあって、繋がっているスクアーロの存在感が圧倒的だった。
「……終わったなぁ」
辺りは再び濃藍の闇に包まれ、しんと静まりかえっている。神社で見物していた、他の見物客の立ち去る気配がする。この耳鳴りも、花火大会が終わった後特有のものだ。
スクアーロは、いつの間にか空にしたパックを取り上げ、残っていた烏龍茶を一気に煽った。すっと立ち上がり、浴衣をはたく。
その音で綱吉は我に返った。慌てて自分も片づけにかかった。綿飴はしぼんでいたが、構わず綱吉はかぶりついた。割り箸だけにしてしまうと、タコ焼きのパックが入っていたビニールを広げてゴミ袋代わりにした。スクアーロのパックも袋の中に入れさせる。
勢いよく立ち上がる。と、立ちくらみに襲われた。一時的に平衡感覚を失って、ふらりと後ろへ体勢を崩した。
立ち泳ぎをするように手が宙を掻く。その手を、スクアーロが掴んだ。
綱吉ははっしと手を握り返した。
暫く二人は、呼吸さえ忘れた。瞳と瞳の、合わせ鏡の無限空間。
「…………ぷっ」
「………………くくっ」
「ふふ……あはは……!」
やがて、何かを吹き飛ばすように笑い出した。男同士、人気のないところで手を繋いで見つめ合って、何をやっているんだろう。
笑いは程なく収まり、スクアーロは懐から扇子を取り出して扇いだ。
「帰ろうか」
「あ゛ぁ」
二人は並んで歩き出した。手は離れて、触れ合う事もない。
綱吉はスクアーロに掴まれた手を、きゅっと握った。スクアーロの手は指が長くて綺麗に見えるが、稽古で皮膚は角質化し、かさついて痛い。綱吉は初めてその事を知った。
(あんな顔も、初めて見たな)
照らし出されては闇に沈んだ、切なげな表情。それを思い出しながら、綱吉はスクアーロをちらりと盗み見た。
……………ねえ。いつか、教えてくれる?
花火に紛れて、何て言ったのか。
握り返した時、どうして手が震えたのか。
そして……………。
そう思う綱吉もまた、同じ顔をしている事に、綱吉は気づいていなかった。
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