Un visitatore di fronte all'alba

 

 意外なように思われるが、ボンゴレ総本部は樹海の奥深くや絶海の孤島にあるわけではない。市街地から車で20分程度で往復できる、丘陵地帯のど真ん中である。
 そんな距離にそれが構えられたのは、抗争の際に地域住民をすぐに保護できるように、また、住民を盾に使えるようにという理由からである。矛盾を感じながらも、その存在を住民達が受け入れているのは、そこに住まう主達が彼らをもう一つのファミリーと思い、代々守り、また培ってきた信頼と人徳による。
 いくら市街地から近くても、本丸である古城を改築した屋敷には誰でも行けるわけではない。神域を守る結界さながらに、幾重にも警備が敷かれ、時間通りに現れなければ本人と認められても通されない。
 顔パス、つまりノーチェックで通されるのは幹部等ごくわずかな者に限られる。
 そして、全てのセキュリティを物ともしない人物が、ここに一人。

 

 窓が開くと同時に微風が起こり、外気が室内に吹き込んだ。ひんやりとした現在の大気そのもののような銀髪が、風に乗って室内の淀んだ空気を切り裂いた。
 床に降り立てば、濃い影と靴が一体化したような錯覚を感じる。振り仰げば、暁闇の空にしろく輝く満月が見えただろう。が、彼は、せっかくの名月を無視してしまった。
 部屋は小さな会議が開ける程広いが、その広さに対して、家具や調度の類は少ない。それでもがらんとした雰囲気を感じさせないのは、壁や柱の装飾の見事さと、ここが空き部屋ではなくて、今現在も使われている部屋だからだろう。彼から見て左手、部屋の東側には天蓋つきのベッドが鎮座している。掛けられたシーツがぽっこりと膨らんでいて、その膨らみは小さく上下していた。ベッドに比べてその膨らみは小さいが、彼の記憶が正しければ使用者は20歳過ぎの男性のはずだ。
 この屋敷を知っている者なら、ここがボンゴレ総本部の最奥、ドン・ボンゴレの寝室であると気づいたに違いない。
 毛足の長い絨緞が足音を消してくれる。暗殺を生業にしているから、そもそも足音どころか気配を消すなど意識しなくても出来る。外には不寝番が立っているはずだが、彼らが侵入者に気づいて駆け込んでくる様子はない。
 天蓋から垂れ下がる紗に隠されて眠る様子は、いかにも貴人らしい。普段なら「似合わない」と言ってからかってやるのだが、今は素直に「相応しい」と思った。
 紗をかき上げて枕元に立つと、自分の影で部屋の主の顔が隠された。それを少し惜しいと思いながら、彼はヘッドの装飾に手をついて、乗り出すような姿勢で寝顔をのぞき込んだ。長い髪が、シーツ越しに部屋の主を愛撫した。
 深い眠りの中に漂う、あどけないと言っていい顔。10年近くも前の記憶と変わらないのはどういう訳だろう、と彼は気配に出ないよう苦笑した。
 熟睡しているのをいい事に、彼はそっとベッドに乗り上がった。スプリングが、ぎし、と彼の体重に軋んだが、部屋の主が起きる様子は全くない。その様子に、彼は一抹の不安を覚えたが、寝顔があんまり安らかなので、風の前の塵よりあっけなく不安は消えた。
 彼は手を伸ばして、盛大に突っ立った茶色い髪を撫でてやった。すると気持ちがいいのか、眠る部屋の主の口許がわずかに弛んだ。彼はこの人物から、度々自分の髪の毛を羨ましがられているのだが、この癖っ毛は彼のお気に入りの一つである。撫でたり、掻き回したりしていると落ち着くし、何より、撫でてやると喜ぶのだ。
 もう少しこの感触を楽しみたかったが、時間がないのを思い出して手を放した。名残を惜しむように、額にかかる髪を掻き上げて、短く、だが強くキスをした。

「……………スク……………」

 寝ぼけてとろけた声が、背中にかかった。足を止めて振り返ると、部屋の主――ドン・ボンゴレこと沢田綱吉が瞼のくっつきそうな目を擦りながら、こちらを見ていた。

「悪い。起こしちまったかぁ」

 スクアーロは踵を返して、再び枕元に立った。子供を寝かしつけるように手で目元を覆おうとしたが、逆にその手を取られ、握り込まれた。

「あれ……スク、今日から仕事じゃ……」
「そうだがなぁ。その前に」

 顔を見ておきたかった。……などと口が裂けても言えないのが、スクアーロのスクアーロたる所以である。蚊の鳴くような声で「ちょっとなぁ」と言うのが精一杯だった。
 それでも綱吉は、スクアーロが何を言いたいのか分かったらしい。にっこりと、嬉しそうに微笑んだ。薄い影の中に浮かび上がる微笑みは、天使のようなという形容がぴったりだった。
 スクアーロは腰を屈め、空いた手で笑みを湛える頬に触れた。鉄が磁石に引かれるような、自然な動きだった。
 綱吉はその腕を手繰るように、ベッドから起きあがって両腕を伸ばした。スクアーロはそれに応えて、再びベッドに乗り上がりながら、片腕で綱吉を抱き寄せた。綱吉は筋肉のつきにくい体質らしく、身長こそ伸びたがそれに見合う厚みはない。
 綱吉の腕が、スクアーロの首に絡みつく。華奢な体を引き寄せると、彼我の距離がゼロになった。唇を触れ合わせたまま、スクアーロはベッドに腰掛けた。膝の上に綱吉が乗る。

「もっと警戒心持て。オレじゃなかったら、寝首掻かれてるとこだろうがぁ」
「……分かるもん……」

口づけの後の第一声がこれとは、何とも色気のない事だ。寝ぼけているせいもあり、綱吉の返事は不満げだ。ぽすっと肩に頭を預けると、宥めるように背中を撫でてきた。
 この恋人は分かっていない。綱吉は改めて、スクアーロに抱きついた。

「スクなら、寝てたって絶対に分かるもん………」
「…………………………」

 その言葉に、スクアーロは何も言えなくなって綱吉を抱きしめた。綱吉が苦しさに喘ぐ位、強い力で。綱吉は、恋人の落ち着きをなくした心拍をしっかりと聞いていた。
 入ってきたのが自分だと分かったから、目を覚ます事もなかったと。
 自分が危害を加えるはずがないと。翻せば、自分になら何をされてもいいと…。
 些か論理の飛躍はあるが、綱吉の告白はスクアーロを非常に喜ばせた。この恋人は立場上、誰にでも分け隔てなく、惜しみなく愛情を示さなくてはならない。頭では十二分に理解しているつもりだが、内心常に独占欲と嫉妬とジレンマがごたまぜになっている。
 こいつが笑いかけるのは、オレだけでいいと。
 こいつが見るのは、オレだけで充分だと。
 綱吉にはオレだけいればいい。スクアーロはいい加減酸欠になった綱吉に背中を叩かれるまで、ずっと抱きしめていた。

「もー。ちょっと手加減…」
「……綱吉」

 平素より上ずった声で、スクアーロは今腕の中にいる、ただ一人の人を呼んだ。
 呼ばれて、俯いた顔を覗き込もうとしたら顎を掴まれた。きょとんとしていると、唇に柔らかい感触が降りてきた。慌てて綱吉は目を閉じた。
 閉じた唇に、舌を這わされる。痺れるような感触に薄く口を開ければ、上唇を吸われ、下唇をそっと食まれる。深い口づけに、いつも綱吉は眩暈を覚える。触れ合わせるだけのキスに比べて、息継ぎのタイミングが掴みにくい上、口腔中を蹂躙される感触に、どうしても慣れないのだ。
 苦しさ紛れに薄目を開けると、口づけに夢中の恋人の顔が大写しになった。寄せた眉に伏せた瞼。目元をちょっと赤らめて。オレの事だけって感じがする、綱吉の好きな表情だ。
 スクアーロの中をもっと自分で一杯にしたい。綱吉が自ら舌を絡ませると、不意打ちにびくりと舌が緊張した。それさえも愛しい。
 2人の顔が離れると、きらきら光の粒を宿した糸が2人を繋いだ。
 息の切れた綱吉は、くたっとスクアーロに寄りかかった。スクアーロは、今度はそっと恋人の細い体を抱きしめた。ぎゅってされるのも好きだけど、こういうのもいいかも。そう思いながら、綱吉はスクアーロの体温にうとうとし始めた。
 そうとは知らないスクアーロは、ぱっと綱吉を離した。くるりと振り向いて、綱吉を元通り寝かしてやる。ふわふわ夢見心地に水を差された綱吉は、えっと言う顔をした。
 寝乱れたベッドに横たわりながらのその顔は、誘っているとしか思えない。スクアーロはうっかり天然のお誘いに乗りかけたが、薄れた影に踏みとどまった。

「時間がねえんだ。もう行くからなぁ」
「…うん。気をつけて。怪我しないでね」

 恋人の心配げな表情にスクアーロは薄く笑って、別れのキスを頬にした。撫でるように触れて、すっと離れる。
 夜明けの不思議な空を背景に、真っさらな光に照らされた黒衣の姿。
 柔らかく輝く銀髪。やさしく紗のかかった鋭い美貌。はっきりと浮き上がる、姿勢の良い細身の躰。

「かっこいい……………」

 素直な感想が口をついて出てきた。小声だから聞こえないだろう、と思ったがばっちり聞こえたらしい。顔が空とシンクロしたようにみるみる赤く染まっていく。手で隠しても遅い。あまりの反応に、綱吉まで赤くなった。

「いい、いきなり変な事言うんじゃねぇ! 行って来るからな、覚悟して待ってろよぉ!」

 それだけ言い捨てて、スクアーロは入ってきた窓から飛び出した。

 

「……………はぁ」

 すっかり目の覚めた綱吉は、起き上がってシーツごと膝を抱えた。憂鬱な溜息がこぼれ落ちる。早朝の新鮮な空気が、溜息混じりの空気を入れ換えてくれた。
 綱吉はベッドから降り、開けっ放しの窓辺に立った。

「分かってないなぁ……」

 時間帯に相応しくないブルーな気持ちで、もう姿の見えない恋人の事を思う。
 彼は本当に分かっていない。
 自分が寝たふりしていた事も。
 覚悟なんて、いつでも出来ている事も。
 自分がどうしようもなく彼の事が好きな事も。
 ボス失格と言われそうな程、彼への気持ちが大きいのに。そう言われても構わない……なんて、決して言えない事だけど。
 側にいたい、いさせて欲しい、いて欲しい、ずっとずっと。「側にいる」と言って欲しい。たくさん、たくさん。
 彼一人だけがいないこの屋敷が自分にとって、どれほど空しいか。一度言った方がいいかな。理性が切れて襲われるのはいいんだけど、責任感じて落ち込んじゃうかも。でも察してくれないスクが悪いんだし…。綱吉は、恋の溜息をひとつ吐いた。

「スクアーロ…………」

 早く帰ってきてよ。




ヘタレ攻万歳!(笑)

Photo by god bless you!