ティー・ブレイク
気がついたら知らない場所に寝かされていた。いや、初めて来たのだから知らなくて当然だが、ここが一体どこなのか分からない。持ち物は全て取り上げられ、手錠を掛けられていた。服まで着替えさせられて、今の自分はいわゆる捕虜という奴だ。 そのはずなのに。床に座り込んでいる綱吉は、顔は動かさずにドラム缶に視線を投げた。 上には黒光りする銃が載っている。一度、自分の頭に突きつけられた物だ。 あれで殺されるのかと思った。なのに、それが火を噴く事はなく。おまけに。 どうして物理の講義を受けているんだろう? 「聞いてる?」 「うひゃあ!」 耳許という至近距離で話しかけられ、綱吉はのけ反った。綱吉は、反射的に手をついて体を支えようとした。が、その手は銀色の手錠で拘束されている事をすっかり失念していた。 体を支える事が出来ず、ごろんと冷たい床に横向きに転がった。顔を上げると、相手の首に施された刺青が視界の真ん中にあった。視線を上に修正すると、考えの読めない目が映った。何となく、呆れの色が浮かんでいるように見えるのは綱吉の思い込みだろうか。 綱吉は起きようとしたが、手を拘束されていてはそれもままならない。着ている服が大きすぎる事も手伝い、服の中で藻掻いているような状態だ。 「……あのー」 「ん?」 「起こしてくれません、か……?」 綱吉はずっと自分が藻掻く様を見ていた男に助けを求めた。卑屈っぽく顔が引きつったが、この際気にしてはいられない。彼は自分の事を殺す気はないようだが、敵という事には変わりない。綱吉も、そこまで脳天気ではない。 大体X-BURNERが完成しても、黙って逃がしてくれるとは思えない。 彼は自分の事を「ボンゴレ十代目」と呼んだのだから。 「起きれない?」 「はい」 見れば分かるだろ、と言ってやりたかったが、歯を食いしばって堪えた。人の手を借りなければ起きる事も出来ない、ひ弱な奴だと告白したも同然だ。貧弱な腹筋が恨めしい。 スパナと名乗った男は床に膝をつくと、無言で綱吉の腕を掴んで、ぐっ、と引いた。思ったより強い握力に、綱吉は顔をしかめた。 上半身が床から僅かに浮き上がる。スパナはその隙間に左腕を差し込み、抱え上げるようにして起こした。 彼も筋骨逞しいタイプではない。同年代の男の中では細身だろう。人種の違いを差し引いても、この時代の了平や山本とは比べるまでもないし、自分の知るディーノよりも細いだろう。それでもやはり、大人と子供の違いはある。抱えられた時に見た剥き出しの上腕は、自分のそれよりしっかりしている。 思わぬところでコンプレックスを刺激され、綱吉は礼を言う事も忘れて俯いた。 ぽす。ぽす。 自分を抱えた手はまだ離れていない。綱吉は、ぶかぶかのツナギに包まれた腕を叩かれているのに気がついた。ツナギの袖が、白く汚れている。埃がついたのだ。 「あっ、す、すいません」 「気にするな」 あらかた埃を落とすと、スパナはゆっくりと綱吉を抱え込んでいた腕を解いた。 「掃除なんてしないから」 「はあ……」 「ところで」 スパナはちょっと考え込むように首を傾げた。 「話、理解できてる?」 「……………すいません」 綱吉はさっき以上に俯いた。 学校の理科の授業だって、訳が分からないのだ。実験だって、ガラス製の器具を落として割るやら、アルコールランプに火をつけようとしたら火傷するやらで、綱吉は嫌いだった。そんな理科嫌いに専門用語全開の講義は、魚を水槽の外で飼うような物だ。 綱吉は知恵熱気味の頭を冷やそうと、溜息と共に天井を仰いだ。 スパナは溜息をついたりはしなかったが、微かに苦笑した。自分にとっては理解できて当然の事なのだが、興味も関心もない相手に理解してもらうのは難しい。加えて、十年前のボンゴレ十代目と言えば、確か14歳だ。X-BURNERにはしゃいで、使い手が義務教育中で基礎知識も怪しい可能性に気づかなかった。あれこれ説明するより、実践に移った方が早かったかも知れない。 「休憩しようか」 「はい」 スパナは綱吉に手を差し出した。立たせてやるつもりなのだろう。綱吉は「大丈夫です」と軽く笑って断ると、反動をつけて立ち上がった。 しかし上手くいったのもそこまで。 綱吉は長すぎる裾を力一杯踏みつけ、前のめりに転んだ。慌ててスパナが抱き留めようとしたが、腹に勢いよく飛び込まれる形になったため、自分も重心を崩した。 結果、綱吉はスパナを下敷きにする形でこけた。派手な音がしたから、かなり痛かったに違いない。 「ごっ、ごめんなさいスパナさんっ」 綱吉は顔色を変えて土下座した。慣れてしまっているので悲しいかな、堂に入った物だが……スパナに馬乗りになったままだ。 「いいから……とりあえず降りてよ」 「すっ、すいませんっ」 綱吉が顔色をそのままに降りると、スパナはゆっくりと起きた。右手で腹をさすり、左手で背中をはたく。綱吉はその背中に回って、不自由な手で埃をはたく手伝いをした。ガチャガチャとやかましく手錠が鳴る。 「大丈夫ですか…?」 「ん、まあね」 スパナは痩せ我慢しながら立ち上がると、もう一度綱吉に手を差し出した。綱吉は、今度はその手を取った。 「座ってて」 スパナは綱吉を寝かせていた布団を指差した。この部屋に誰かが来る事を想定していないのだろう。椅子など、作業机のものしかない。綱吉は頷いて、布団の端に座り込んだ。一方スパナは、言うだけ言うとさっさと綱吉に背を向けて、クセの強いカタカナで「チャブダイ」と書かれたドラム缶に歩み寄っていた。 逃げられるとか、考えてないんだろうか。綱吉は現在の立場を忘れて、スパナの態度が心配になった。超高圧エネルギーである死ぬ気の炎なら、手錠ぐらい溶かせそうだ。自然と綱吉の視線は、持ち物の置かれたドラム缶に向く。 緑茶の香りとワークブーツの足音が思考を遮った。懐かしい香りに、緊張が緩む。 「はい」 「あ、ありがとうございます」 受け取ったマグカップからは、温かい湯気と、芳しい香りが立ち上っている。お茶菓子のつもりなのだろう、棒つきキャンディーも一緒に添えられていた。綱吉は、気絶している間に見た夢を思い出した。 笑顔の母。いつだって、そう、叱った後でも笑顔を見せてくれる母。 母の笑顔に笑い返そうとして……胸の奥の奥が震えた。 (母さん……………) 弓張り月を描こうとした唇は、強張って反対の向きになった。浅い呼吸が、速いテンポで繰り返される。茶の湯面が小波立ち、零れた茶が綱吉の手を濡らした。熱い茶が手にかかったが、綱吉はぐっと歯を食いしばっただけだった。 知らず俯いていた綱吉は、背に何かが触れる感触にふと顔を上げた。 スパナが綱吉と、背中を合わせる格好で座っていた。手にはもう一つのカップがある。 「いい香りだな」 声が、鼓膜だけでなく体をも震わせて伝わってきた。 「軽やかなのに、深みもあって」 スパナは独り言のように続ける。 「とても神秘的だ」 綱吉は緑茶を一口すすった。 「…おいしいです」 「だろ?」 スパナが笑ったのが、振動で分かった。 「ウチのお気に入り」 「…そうですか」 と言おうとしたのに、それは叶わなかった。開いた口から漏れてきたのは、ギリギリまで押さえ込んだ嗚咽だった。突然、目の辺りだけが水に漬けられたようだ。綱吉は息を止め、水から上がるのを待った。 まるで見計らったかのように、スパナが大きな音を立てて茶をすすった。一部が気管に入ったのか、激しくむせ返った。 「……ふふっ」 綱吉は、咳と失笑に紛れさせて涙を零した。涙を零しながらそろそろと、スパナの背中に体重をかけた。背中はしっかりと、体重を支えている。唇は、今度こそ弓張り月を描き出した。 泣くとこんなに楽になるなんて、知らなかった。 綱吉は穏やかに微笑みながら、でも落ち着かない風でマグカップをいじりながら、スパナの体温と鼓動を感じていた。 |
標的187から189の間を妄想した話です。
さりげなく綱吉を泣かせてくれるスパナさんと、少しずつ心を許し始めた綱吉。
実際は、こんな夢いっぱいな展開じゃなかったですね……(汗)。