花、開く

 

 空は高く、雲一つない冬晴れだった。しかし空気は冷え切り、大気そのものが水面に張った氷のようだ。それでも、窓から入ってくる日射しは暖かく、締め切れば暖房なしで過ごせる。その日射しに、雪もはや溶け出した。
 布団から出られない綱吉には、そのありがたみも届かなかった。

「一人だけ風邪引くなんざ、間抜けだな」
「うっさい!」

 と言い切る前に、綱吉はげほげほと咳き込んだ。リボーンはこれ見よがしにマスクを装着し、やれやれと首を振った。帽子の上ではレオンまで、お揃いのマスクを着けている。綱吉は布団の中から、恨めしげに睨んだ。
 昨日雪が積もったからと、家の子供達に雪合戦に連れ出され、三つ巴の戦いを繰り広げた後、爆発に巻き込まれた。その結果、綱吉一人だけ見事に風邪を引き込んだ。
 雪に埋もれたりエンツィオの下敷きになったりと、怪我人や病人候補は続出したのに、何故か綱吉一人だけが、朝から布団を出られなかった。これはリターンマッチの申し込みや誘いの電話が、朝から沢田家にかかってきた事で判明した。多分もうすぐ、見舞い人が押しかけてくる事だろう。
 元気と体力は無駄にある彼らの顔を思い浮かべ、綱吉は鼻をすすった。

「風邪が治ったら鍛え直しだな」

 うええ、と綱吉は唸った。喉が痛くて喋れないのだ。また咳き込むと、リボーンは俺まで移されちゃかなわねえ、と出て行ってしまった。
 ドアが閉まると、急に部屋は静かになった。また遊びに行ったのか、子供達の声も聞こえない。耳の奥が痛いのは、熱のせいだけではない。綱吉は毛布を抱き込み、胎児のように丸まった。
 ドアをノックする音。次いで、ドアが遠慮がちに開かれた。

「……ツナ兄?」

 小さな頭が、ドアの隙間から覗いた。手には一人前用の土鍋と茶碗、レンゲを載せた盆を持っている。
 呼ばれても、布団の固まりは動かない。フゥ太は盆を机の上に置いて慎重にドアを閉め、足音を忍ばせて枕元に近寄った。
 そっと布団を覗き込む。どうやら、眠ってしまっているらしかった。
 フゥ太はクッションを持ってくると、そのまま枕元に陣取った。顔は赤く、熱の高さをうかがわせる。寝顔そのものに苦しさは感じられないが、それがかえってフゥ太を辛くさせた。何かしらの発露がないと、その人の苦しさは一切見えてこない。隠されているようで辛かった。
 フゥ太は、そっと綱吉の額に触れてみた。熱い。

「………………ん」

 冷たさに反応して、綱吉が目を覚ました。

「………………フゥ太?」
「あ、起こしちゃった?」

 ごめん、とフゥ太は叱られた子犬のような瞳を向けた。綱吉は枕に頭をつけたまま、首を横に振ってやった。

「何しに来たんだよ……ゴホッ! 移るだろ……」

 ガサガサに荒れた声。それだけ言うのも辛いらしい。フゥ太は咳が収まるのを待ってから、口を開いた。

「ママンがね、ツナ兄にお粥持って行ってって」

 フゥ太は身を翻し、机に置いた盆を取りに行った。綱吉は苦しい喉をさする。
 土鍋の蓋を開けると、粥の柔らかな香りが広がった。平素であれば食欲をそそる香りは、鼻の利かない綱吉には感じられない。胡乱な目で卵と刻み野菜の入った粥を見るばかりだ。

「食べたくない………」
「でも、少しでも栄養摂らなきゃ。僕のランキングにもそう出てるよ」

 綱吉だって、ランキングを引き合いに出されるまでもなく、分かっている。しかし、胃が食べ物を拒否するのだ。喉も痛いから、水だって口にしたくない。想像しただけで吐き気がこみ上げてくる。
 長引けば学校が休める、という狡い考えがある事は否定できないが、例え学校がなくても勘弁して欲しかった。

「ツナ兄……食べてよ、ママン心配してたよ」

 粥をよそった茶碗を手に、フゥ太はある種の小動物のような顔をした。押しにもこの視線にも滅法弱い綱吉が、拒否し続けられるはずがない。
 分かったよ、と言いながら、のそのそと体を起こした。

「はい、あーん」
「おい…………」

 口元にレンゲを持ってくる無邪気な笑顔を睨んでみたが、何か言うのも億劫だった。ムスッとしたまま、綱吉は口を開けた。
 ぎゅっと眉を寄せて、胃に送る。多少のとろみはあるが、炎症を起こした胃や喉には優しくない。鼻もつまって味が分からない。結局、三口食べただけで音を上げた。

「はい。ツナ兄、薬」
「うん」

 綱吉は錠剤を受け取り、枕元のスポーツドリンクで飲んだ。一息つくと、脱力したようにズルズルと横たわった。フゥ太が布団を掛けるのを手伝った。

「そういや、フゥ太…」
「ママンなら、冷却シートとか買って来るって言ってたよ」
「いや、お前は?」
「…ランボ達は、ハル姉のところに…」
「いや、だから」

 綱吉はまた咳き込んだ。

「お前だよ……昨日はお前、エンツィオに潰されただろ? 大丈夫なのか?」

 フゥ太は何も言えなかった。それは時計の秒針が次の数字を指すまでの間よりも短い時間だったが、茫然自失となったフゥ太と、熱で時間感覚があやふやになった綱吉には、実に長く感じられた。
 綱吉はフゥ太の鈍い反応に何かを感じ取ったのか、起き上がろうと重い体を動かした。

「僕は平気だよ。ツナ兄こそ、昨日はイーピンの爆発に巻き込まれたでしょ?」

 フゥ太はそう言って綱吉を押し止め、にっこり笑って見せた。
 そう言われてしまえば、綱吉には何も言えない。眉をひそめたまま、頭を枕につけた。

「……具合悪くなったら、すぐ母さんに言えよ」
「うん。ツナ兄も、もう寝た方が良いよ」
「そーだな……」

 おやすみ、と時間的にはややおかしい挨拶をすると、あっという間に綱吉の意識は眠りの国へ旅立ってしまった。
 フゥ太はその寝顔を、じっと見つめた。大きな瞳には、演技ではない涙が今にも溢れそうに溜まっている。
 早くから裏社会に身を置いてきた。情報以外武器を持たない自分が、一寸先は闇の世界で生きて行くには、とにかく身を隠し、自分を殺しても得のないよう、知恵を巡らせる事だった。他人は二の次以下の環境では、自分の心配は自分だけがするものだった。

「有難う………ツナ兄」

 フゥ太は涙が引っ込むまで、ずっと綱吉の側にいた。
 情報屋としてだけではない、綱吉の力になれるようになりたいと思いながら。

(とりあえず……どうしたらうるさくしそうな連中を来させずに済むか、考えないとね)

 

遅れましたがフゥ太お誕生日記念です。
タンポポの花言葉は、「真心の愛」。


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